江戸時代中期から脚気が増加し明治時代末期になっても、その原因や治療法も確立されませんでした。一般人にも蔓延しましたが、とくに死者が多かったのは軍隊で、入隊した健康な若者たちが、徐々に脚気になり次々と命を落としていました。その原因は「ビタミンB1欠乏症」でした。軍隊で脚気が蔓延した理由は、兵士1名当たり高価な「白米」のご飯が毎日6合、中盛り茶碗換算で15杯分も支給されていました。その分おかずは栄養価の貧弱な内容で量もごくわずかだったのです。入隊前、白米はおろか、玄米も食べられず雑穀が主食だった元気な地方出身の若者たちにとり大変魅力的だったでしょう。しかし「白米」は玄米や雑穀類に比べ「ビタミンB1」が失われていました。精米の過程でビタミンB1が豊富な「胚芽」の部分が削り取られてしまっているのです。一方おかずはほんのわずかで、長期的には「ビタミンB1欠乏症」すなわち「脚気」が蔓延した原因でした。以前は雑穀や玄米食だった一般の人々も江戸時代以降、江戸を中心に高価だが玄米よりずっと美味しく食べやすい白米の味を覚えて、白米があれば、おかずはほとんど要らないという食生活を続け脚気になっていました。
ビタミンB1が発見されるはるか昔、2千年前に孫思襞は著書の中で「牛乳・豆類・穀白皮(穀物を脱穀した際に出るカスで穀物の皮や胚芽が含まれる)」で脚気を「予防できる」と記しています。現在からみるとこれらは「ビタミンB1」を多く含むものばかりで、見事な内容です。その上、20世紀にやっと注目され始めた「予防医学」の考え方の走りでもあり、大変な先進性が秘められています。病気になった人を治療するのも医学だが、健康な人が病気にならないように啓蒙するのも医学の責務だという趣旨です。なお、ビタミンB1は1910年に鈴木梅太郎博士によって、「米ぬか」(玄米を白米に精米するときに失われる)から発見されました。「白米」が悪いのではなく、おかずでバランスをとる食生活が大切ということです。現在でも極端な偏食を長年続けて脚気になるひとがいます。また、アルコールを解毒するのに体内でビタミンB1は多量に消費されるので、食事をあまりとらずにお酒ばかり飲む人は長期的にビタミンB1欠乏症から脚気になる恐れがあります。(つづく)